waltzその前に
ふくおか
昨日はですね、福岡のBSJ吹奏楽団の定期演奏会にお邪魔してきました。
もとい、演奏に参加して邪魔をしてきました。
僕とBSJとの出会いは、忘れもしません、2012年1月8日です(さっき調べた)。
岡山でとある合同演奏会が開催されまして、4年前、そう、もう4年も前なんですよ、そこで僕はヘルプとしてBSJのドラムを叩きました。
4年ですよ、4年。その間に色々あったりしたなァ、なんぞ感傷に浸りつつも、その当時のミクシィ日記を遡ってみると、こう書いてあった。
実はOWEステージだけではなく、
福岡BSJ吹奏楽団のステージにもお邪魔させてもらいましたが、
打上げ中に、結構な数のOWE団員から
「BSJのドラムの方が出来がいいとはどーゆーことだ?!」
と「お叱り(笑)」の言葉をもらいました。
BSJステージは、お世辞とかじゃなく、本当に楽しかったです。
ドラムの出来は決して合格点ではありませんが、演ってて気持ちよかったです。
いい経験させていただきました。
なんだこれ、感想、まんま今回と一緒じゃねぇか。ってゆーか、感想だけじゃなく、出来も一緒じゃねぇか。人間というもの、そう簡単には根は変わらないようである。
さらに、日記は、こう締めくくってあった。
おっそくなりましたが、あけましておめでとうございます。
ようやく、自分の中で2012年がスタートした気がします。
年末年始、悲喜交々いろいろありました。
プリコンで大切な友達が去った日、
同じ時に同じ場所で新しい友達と出会うというのは、
なんだか時の流れを感じさせます。
今年はどー転んでいくんでしょうか。
このままじゃぁこのままですもんね。
ゴロゴロ坂道を転がって、楽しんでいきます。
良いこと書くじゃねぇか、4年前の俺。4年前のあの日、なぜだか分からないけど、何かが変わるターニングポイントになった気がしていた。だからこんな日記が書けたんだろう。あの日から4年。変わったね、変わらないね。でも、大切なものが増えたのは、確実に事実です。
ひとつの出会いが、きっかけが、池に石を投げいれた時の波紋のように広がっていく。今年は、4年前のような、そんな年になる気がしている。
なんとなく。でも、たぶん、そうなる。そうする。
お好み焼き
なじみのお好み焼き屋さんの店主が亡くなった。
たまたま昼に前を通りかかったとき、なんならランチをそこにしようかくらいの気持ちで通ったとき、店の前に張り紙がしてあった。
店主は女性で、小柄で白髪のおばあちゃんだった。真っ赤な口紅をつけて、おしゃれなセーター姿でお好み焼き作ってた姿が印象的だった。
たいてい僕が頼むのはエビ玉とビール。いわゆる広島風とよばれる部類のお好み焼き。ビールの銘柄はクラッシックラガーのみ。小瓶と中瓶が小型の冷蔵庫の中で冷やされていて、客はセルフで取り出すスタイル。おなかに余裕がある時は、とんぺい焼きも頼んでた。カラシとケチャップで味付られたとんぺい焼き、本当においしかった。僕は混んでる時間帯を避けて行っていたこともあり、いつも世間話をしながら食べていた。店主は口が悪くて、いつも「最近のテレビ番組はうるさいだけ」とか「あの俳優は好かん」とか、そーゆー話が多かった。焼き終わった店主は客席の端に座り、タバコに火をつけて一服。以前は缶ピースだっだけど、最近はカプリを吸ってた。背筋は伸びていて、クールなんだけど時折見せる笑顔がチャーミングだった。夏に行くと、たまに、食後のオヤツに冷やしたミカンをサービスしてくれてた。おいしかった。
1月12日に亡くなったそうだ。張り紙の主は、その店の建物の大家だった。親族はいないのかもしれない。元々店を始めたのはご主人らしいが、僕が通い始めるずっと前にご主人は亡くなっており、それから女手一つで店を守ってきていたそうだ。深夜、デンカフェの帰りに店の前を通るといつも店の明かりがついていた。住宅兼店舗だったので、きっと、1階の店のテレビでドラマかなんか見てたんだろう。一人で店を守り、店で暮らし、最近のテレビの愚痴をこぼしながら、ずっとお好み焼きを焼いてきたんだろう。
悲しい、とは違う。残念、に近いかな。
もうあの味に会えない。あんなに居心地の良い空間はもうない。
あの建物はどうなるんだろう。壊して、コインパーキングかなんかになっちゃうのかな。僕にはどーしようもできないことだけど、もし、そうなったらさみしいな。
訃報を知らせる張り紙に気づいたとき、驚きで固まってしまった。すぐには理解できず呆然としていると、張り紙の斜め上の電気メーターに気が付いた。「送電停止中」的な電力会社の紙が貼られてあった。この店の歩みが止まってしまったことを、はっきりと叩きつけられた瞬間だった。
もうテレビはつかない。ビールもミカンも冷えない。
残念。とても。そして、我が身のいろんなことを考えたりも、した。
ジャニーズ
先日、岡山駅前のイオンに行きまして、
先日、岡山駅前のイオンに行きまして、さすがのデカさ、喫煙ルームの灰皿なんて備前焼だったりしまして。んで、そこそこな大きさのモニタが壁に備え付けられてまして、そこにタバコのCMが流れておりまして、イケイケな若い男女が海や山でシャイニーなことしながらオシャレにタバコ吸ってる映像だったのですが、モーーーレツな違和感を覚えた、のであります。
「えっ、吸っちゃってるとこ流していいの?」って。
タバコのCMが公共電波に乗らなくなって久しい。何年かは知らんけど、久しい。ドラマで喫煙シーンなんて滅多に見ないし、あえてタバコを使うことのリスクを考えればとーぜんなのかもしれない。喫煙ルーム内だから何も問題ないし、なんならここぞとばかりにコマーシャルしなきゃJTも商売なんだから、って理屈じゃ分かってるんだけども、画面の中の爽やかな男女が爽やかに煙を楽しんでる姿に、「えっ、吸っちゃっるとこ流していいの?」って思っちゃった僕自身に、無意識のうちに価値観が変わってたことにびっくりした。「タバコは(テレビで流しちゃいけない)ネガティブなもの」って意識を知らぬ間に抱いてた。
喜ばしいことなのか、当事者のひとりとして、どう捉えたらいいのだろう。
周りから酷評されているものがこの先も悪いものとは限らない。
希望
色々あった昨年、この先どーなんてくんのよ、と不安なことも少なくなかった。
前向きになれたり、やっぱりダメだったり、内面はアップダウンしてた。
そんな時、希望の光を色んな人からもらえた。
新たな出会いもあった。これまでの出会いがグンと深くなったのもあった。
時間とおかねが許してくれるなら、全員のところを回りたい。
「感謝の気持ちを伝えたい」的な、できないことは言わない。
楽しく飲んで、しゃべって、また会おうねって言って別れたい。
でもな、でもな。それだけじゃ、なんだか物足りないんだよな。
「希望」という言葉が好きだ。野暮ったい響きだけど、好きだ。
英語にするとHOPE。うーむ、これまたなんだかな。
スペイン語だと、Esperanza。お、かっこよくなってきた。
でもな、読み方が良くわからない単語を使うとドジるんだよな。経験則。
今、僕には希望がある。希望は、野望とも言うらしい。
ツタヤの「楽しいことに用がある。」という企業コピーが好きだ。
希望の先には楽しいことが待っている。だから、ワクワクする。
ひとりじゃなく、ふたりじゃなく、絡み合う関係性から生まれる深みを。
予定調和じゃなく、まだ見ぬ誰かとのスリリングで新鮮な驚きを。
起伏の無い平坦な道じゃない、ゴツゴツとした三次元の立体的な興奮を。
楽しいことに用がある。
それでなくちゃ。
ツイッターと私
ブログ開始の書き込みからいきなりツイッターの話になりますが、
2010年の4月に始めて、約24,500ツイートしてる。
ってこたぁ、日に11回くらいつぶやいてる計算になるわけで。
ツイッターは、スピーディでリアルタイムで、まさに、「なう」なツール。
あ、待てよ。
そうだ、2010年といえば初めて“コッチ”に出てきた年だ。
ツイッターを始めて、たくさんの人とつながった。
ツイッターが社会学的とか経済学的にどんな効果があるのか知らないけれど、
2010年以降の僕の生活には、常にツイッターがあった。
そろそろ、長文が書きたくなった。
2016年からの記録を、考えたことや思ったことを、書きたくなったら書きます。