tank!

生きている限り、希望を持ちづつけられるんですってよ

waltzその前に

どうも。放置して動かざること山の如し。 
書くことは頭を整理すること、よし、書こう。

waltzというイベントを企画してます。3月に開催を告知しましたが、そのもっと前、前年10月くらいから動いてました。今が5月ですから、半年以上かけたプロジェクトになりました。残すところ、1か月。予想してた以上に、たくさんのモノを得ることができました。ガッポリやでぇ。

フツー、こーゆーのはイベントが終わってから総括的に書くものと相場が決まってるのでしょうが、開催を間近にしてグワーっと慌ただしくなる前に、備忘のため整理してみよう。

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イベンターであるからには、人一倍waltzへの思い入れは強いと思う。だからこそ、自慰になっちゃいけない。僕の思いが一方通行に走るだけなら、それはwaltzじゃない。コンセプトに掲げた「わたしと あなたと みんなと」というフレーズは、大人数で楽しもう、というニュアンスが強すぎたなァと反省してる。waltzは踊り。踊りってのは、自分自身が踊ることも楽しいし、相手とコミュニケーションとって踊ることも楽しいし、その舞踏会に参加してる人たちの踊りを見ることもまた楽しい。たった一つのイベントだけど、たくさんの楽しみ方がある。どの楽しみ方も平等で自由。いろんな方向に軸が伸びた立体的なイベントにしよう。「なんでもアリの音楽祭」ってフレーズもそこから出てきた。どんな楽しみ方もその人の自由。そんなところに主催者の自慰的で一方通行な思いが走ったら、少なくともそれはwaltzじゃない。

もう1つ、大事なコンセプトがある。それが「岡山」。この点は何度も見失いそうになった。メチャメチャ楽器上手い人なんて都会にはゴロゴロしてて、扱ってる音楽のセンスや深みも段違いに凄くって、んまぁそりゃ人口多いからかもしれませんが、事実、そーゆー人が多いのは確かなのであります。腐った見方をすれば、わざわざ岡山でイベントするより東京のイベントに遊びに行った方が良いんじゃないか、なんて発想に挫けそうなこともあった。まぁ待て、よく考えてみろ、俺。僕がしたいのは東京の真似じゃない。そんなもん、意味がない。岡山だからできる、そこをよく考えてみよう。そうやって何度も立ち直してきた。答えはwaltzが終わってみないと出ないけど、「あれ、岡山ってなんか、おもしろいかも?」って思ってもらえたら、しかも、岡山県人にも思ってもらえたら、一応のミッションクリアかなと。都会も楽しい、岡山も楽しい、それぞれの楽しみ方がある。「岡山を元気にする」は政治家っぽいけど、「岡山の楽しいことをもっと発見する」は実現したい。なぜならば、楽しいことが好きだからである。

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間違い無くwaltz翌日の6月26日、僕はワルツ・ロスになっていることだろう。なんなら、当日の打ち上げ終了後から始まるだろう。なんとしてでもwaltz'16を成功させる。その先の'17、'18へ向けて、そのもっともっと先のまだ姿形も見えない希望に向けて、あと1か月。気を抜かぬよう。