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生きている限り、希望を持ちづつけられるんですってよ

先日、岡山駅前のイオンに行きまして、

先日、岡山駅前のイオンに行きまして、さすがのデカさ、喫煙ルームの灰皿なんて備前焼だったりしまして。んで、そこそこな大きさのモニタが壁に備え付けられてまして、そこにタバコのCMが流れておりまして、イケイケな若い男女が海や山でシャイニーなことしながらオシャレにタバコ吸ってる映像だったのですが、モーーーレツな違和感を覚えた、のであります。

「えっ、吸っちゃってるとこ流していいの?」って。

タバコのCMが公共電波に乗らなくなって久しい。何年かは知らんけど、久しい。ドラマで喫煙シーンなんて滅多に見ないし、あえてタバコを使うことのリスクを考えればとーぜんなのかもしれない。喫煙ルーム内だから何も問題ないし、なんならここぞとばかりにコマーシャルしなきゃJTも商売なんだから、って理屈じゃ分かってるんだけども、画面の中の爽やかな男女が爽やかに煙を楽しんでる姿に、「えっ、吸っちゃっるとこ流していいの?」って思っちゃった僕自身に、無意識のうちに価値観が変わってたことにびっくりした。「タバコは(テレビで流しちゃいけない)ネガティブなもの」って意識を知らぬ間に抱いてた。 

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昨今の、LGBTに対する(かつてと比べれば、たぶん)好意的な流れ、大きなくくりで言えば、流行り、ってやつは、そこそこに大きくなってきている。ジワリジワリと、LGBT当事者に対して、世間は(少なくとも)完全否定的な態度は控えるようになっている。

喜ばしいことなのか、当事者のひとりとして、どう捉えたらいいのだろう。
 
そもそも、LGBTという表現が、「正しい」「適切な」表現なのかイマイチわかってない。正直なところ、僕自身、「この表現なら問題はないだろう」的な中途半端な気持ちを抱えながら、この言葉を使っている。ふと考える。ゲイである僕がレズビアンなど他のセクシャリティを含めて「僕たちLGBT」と表現していいんだろうか。「僕たち」とかって勝手に括ってるけど、少なくとも僕は、他のセクシャリティのことをよく知らない(もっと言えば他のゲイのことだって、ほんとに知ってるかと言われたら答えに詰まる)。これってもしかして、当事者のくせに、一過的なファッションとして扱ってしまっているんじゃないだろうか。僕の中で処理しきれていないLGBTという用語を、自分の、しかも自分たちの、グループ名として使っていることに、モヤモヤとした思いを抱えている。
 
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ある時期までは「とーぜん」と思われていたことが、気がつくと「ひじょーしき」になってることはよくある。その逆もまた然りで。さらに、その流れに対して、世の中が「良くなっている」と言う人もいれば、「悪くなっている」と言う人もいる。何が正しくて、何が間違っているのか、それはその時々で違う。たとえば、妾が当たり前だった文化もあるし、それは現在では当たり前じゃない。タバコの評価もそう。そーゆーもんなんだと思う。
 
周りから評価されているものがこの先も良いものとは限らない。
周りから酷評されているものがこの先も悪いものとは限らない。
分かったつもりで、ロクに考えないで、安易に飛びつくのは良くない。 
 
言葉は難しい。すぐに知ったかぶりができてしまう。